先日の記事「宮川町の京都市広報板の町名表示を見てみよう」で京都市広報板を観察しはじめてからというもの、町中を巡っているうちに他にも面白い事例を見つけたので、町名表示を中心に小ネタ集としてまとめてみることにしました。
町名以外を使ってみる
上京区河原町通今出川南東角
Kamigyo-ku Kawaramachi imadegawa Kajii-cho.
変な町名(町名?)。「南東角」なんていうのもありうるんですね。ライオンズクラブによる町名表示板にも「烏丸御池南西角」というのがあります。ライオンズクラブの町名表示板もなかなか面白く、「押小路通神泉苑北側」なんてものもあったりしますが、この記事では扱いを留めておきます。さてローマ字を見てみると、こちらは「Kajii-cho」(梶井町)と町名による表記がされていて、謎です。ピリオド付いてるし。
左京区岩倉幡枝町 幡枝第一公園
Sakyo-ku Iwakura Hataeda-cho.
岩倉幡枝町の町域は広く、広報板も各所に点在しています。その多くは順当に「左京区岩倉幡枝町」という町名を掲げていますが、なぜか(知る限り)これだけ、自身が設置されている公園の名前を続けて所在地を細かく示しています。
町名が二つあることもある
中京区堺町通夷川上る絹屋町(絹和町)
Nakagyo-ku Sakaimachi Ebisugawa Kinuya-cho (Kinuwa-cho)
この町は、公には「絹屋町」と呼ばれますが、そのほかに「絹和町」という別名もあるということでしょうか。類例を探してみると、「上京区智恵光院通丸太町下る主税町(巽主税町)」では「主税町」という公称町を細分した「巽主税町」という町名が併記されていたり、「右京区太秦蚕ノ宮町(上刑部町)」(2018年頃まで。その後「右京区太秦上刑部町」に置換)では公称町名の方が括弧内に置かれていたりします。
町名がないこともある
下京区西洞院通七条上る
Shimogyo-ku Nishinotoin Nanajo
西洞院通の七条を上がった……どこ? 答えはライオンズクラブの町名表示板に「福本町」と書いてありますが、わざわざ別の町名表示板を据え付けてあるあたり、さすがに町名なしは受け入れられなかったんでしょうか。そりゃあそうです。
不十分な通り名
下京区烏丸東入ル匂天神町
Shimogyo-ku Karasuma Higashi Nioitenjin-cho
通り名がない広報板というのはいくらでもありますが、通り名が不十分、というのは稀です。しかし、この広報板には通り名が片方しかなく、烏丸通と何の交点から東なのかがわからない書き方になっています。
実は、この広報板は「京都仁丹樂會」の2013年5月の記事で紹介されているものでした。12年経っても修正されていない様子です。京都仁丹樂會は、仁丹の町名表示板についての調査研究を行っている団体で、この表示を「あまりに乱暴」としつつ、対して「近くの仁丹は次のように正確な表現で、正確な場所に設置されてい」るとしています。ではその仁丹がどこにあるかというと……
道の向かい、広報板からはせいぜい5m程度のところにあります(写真左)。仁丹には「下京区髙辻通烏丸東入上ル匂天神町」とあり、確かに正確な表現になっていました。もしかしたら、広報板の町名表示は、「下京区髙辻通烏丸東入上ル匂天神町」ってことなのかもしれません。すごい脱字もあるものです(ない)。
一つの町名、二つの読み仮名
下京区麩屋町通五条上る下鱗形町
Shimogyo-ku Fuyacho Gojo Shimo-urokogata-cho
下京区下鱗形町
Shimogyo-ku Shimorinkei-cho
同じ町ですが、広報板が2枚並んでいて「麩屋町通五条上る」があったりなかったりしますね。初めてこの広報板を見つけたときにはそれが気になり、こうして広報板を観察するようになるきっかけになりもしましたが、最近では2枚並んでいること自体はたまにあるなあという気持ちになりました。珍しいのは、どちらにも町名表示板が付いていて、しかも左は「Shimo-urokogata-cho」、右は「Shimorinkei-cho」と読み方が異なるところでしょうか。『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系』や、手軽な手段として日本郵便も「シモウロコガタチョウ」としているので、正しい読み方に修正されたということなんでしょうか。
地番を書いてみる
東山区東大路渋谷下ル妙法院前側町426
Higashiyama-ku Higashioji Shibutani-sagaru Myohoinmaegawa-cho
現在地は正確に分かったほうがいいですからね。地番まで使ってくれると場所がよく特定できて嬉しい……なんて訳ないと思うんだけどなあ。どうして?
ローマ字がない場合
上京区寺町通広小路上る清和院口町
この広報板を初めて見て、文字が一行しかないことに気づいたときはかなり驚きましたが、その後他にも「上京区寺之内通堀川西入東西町」や「上京区西洞院通一条上る大峰図子町」が見つかりました。
ところで、この広報板のもう一つ変なのは、「清和院口町」という町名です。この広報板が設置されている場所は現在の公称町名で言うと「染殿町」にあたり、「清和院口町」なる町は他の場所を含めても公には見つかりません。通り名相当の表現として「清和院口」というのが町名表示に使われることはあるようですが(京都府立医科大学の例)、公称町名としては見当たりません。清和院御門に面する町として、染殿町(やその周辺の町)の別名として「清和院口町」というのが非公式に使われているということなのでしょうか。
送り仮名さまざま
京都の住所表記は、基本的に「属する区+面する通り+近くで交わる通り+その交差点からの方向+町名」という構造でなっています。それらを組み合わせるときには、通り部分は「○○通△△」とし、交差点からの方向は「上ル(上る)」「下ル(下る)」「東入」「西入」のいずれかとするような慣例があります。京都市の広報板も基本的にはこの慣例に従っていますが、稀に例外的なものも見つかります。
中京区西洞院通り二条下る二条西洞院町
Nakagyo-ku Nishinotoin-dori Nijo sagaru Nijo nishinotoin-cho
通りの名前は、標識でこそ例外的に「〜通り」という表記が見られますが、住所表示では「〜通」という風に「り」を送らないのが普通です。が、普通でないこともあるみたいです。他にも「上京区猪熊通り上立売下る藤木町」というのがあります。
道路標識の話をすると、例外の例外として烏丸通の姉小路通〜錦小路通には「〜通」で書かれた標識があります(参考)。また、堀川通の元誓願寺通〜椹木町通では、あとから「り」を補ったような標識を見ることができます(Google ストリートビュー)。
中京区間之町通竹屋町西入る大津町
Nakagyo-ku Ainomachi-dori Takeyamachi-nishiiru Otsu-cho
「上ル/上る」「下ル/下る」とは異なり、「東入」「西入」は仮名を送らないのが基本ですが、「東入る」「西入る」という表記も目にすることがあります。ここでは先に「西入る」を挙げました。
東山区塩小路通大和大路東入る東瓦町
Higashiyama-ku Shiokoji Yamatooji Higashikawara-cho
「東入る」も見てみましょう。左の写真をみるとなんだか縦長です。見たところ二文字分のスペースに三文字詰め込んでいる具合ですが、余白もないのに敢えて変則的な表記にしたのはなぜなんでしょうね。普通の「東入る」としては「下京区万寿寺通柳馬場東入る堅田町」というのがあります。
中京区油小路通姉小路上ル式阿弥町
Nakagyo-ku Sanjo Aburanokoji-dori anekoji agaru Shikiami-cho
南北移動を表す言葉では、平仮名と片仮名が混在しています。京都市広報板では「上る」「下る」は平仮名で書かれることが多いものの、「上ル」「下ル」と片仮名が使われた広報板も時々見られます。
- 上京区猪熊通今出川上ル北猪熊町
- 下京区御幸町通五条上ル安土町
- 東山区三条通神宮道上ル東入定法寺町
下京区西洞院通六条下ル西側町
Shimogyo-ku Nishinotoin-dori Rokujo sagaru Nishigawa-cho
- 上京区智恵光院通寺之内下ル古美濃部町
- 上京区小川通武者小路下ル革堂町
- 下京区油小路通四条下ル石井筒町
- 下京区東洞院通松原下ル大江町
- 下京区東洞院通六条下ル橋詰町
- 東山区大黒町通松原下ル一丁目北御門町
京都市広報板ではないかもしれない
中京区新町通蛸薬師下る百足屋町
Nakagyo-ku Shinmachi Takoyakushi Mukadeya-cho
これは、広報板でいいんでしょうか? 町名表示こそ広報板のそれですが、京都市広報板だという主張がどこにもありません。引き戸付きなど定型から外れた広報板自体はたまにありますが、(知る限り)必ずどこかに「京都市広報板」の銘板が付いています。設置要項を見ても、「町名表示板」は任意ですが「京都市広報板」と書いた銘板は必須なように読めます。この個体は、掲示物を見る限り公用っぽいですが、どうも正体不明です。
京都市広報板ではあるが
下京区東洞院通高辻上る高橋町
Shimogyo-ku Higashinotoin-dori Takatsuji agaru Takahashi-cho
百足屋町と比べると「京都市広報板」と掛かっているだけマシですが、その銘板が広報板本体から離れて壁に打ち付けられており、それに並ぶように町名表示板も上部にあるという変な広報板ですね。
広報板だらけの町①:三条市営住宅周辺
三条京阪の南東に、三条市営住宅と呼ばれる公営団地があります。市営住宅の住棟は若松町・若竹町・教業町・長光町・巽町に跨って分布しています。これらの町には、次に挙げる通り合計12枚の広報板が存在します。
若松町
若竹町①
若竹町②
若竹町③
若竹町④
教業町①
教業町②
教業町③
教業町④
長光町
巽町①
巽町②
なお、長光町周辺を Google ストリートビューで見てみると、2025年9月時点で三条保育所の南西角に広報板を見ることができます。しかし、2025年12月時点ですでに存在しないことを確認しました。
ここで着目すべきは、4枚の広報板が存在する若竹町と教業町でしょう。まず、若竹町の広報板はいずれも町名表示板を備えています。それらを比較してみると、次のようになります。
| ① | 東山区花見小路通三条下る若竹町 | Higashiyama-ku Hanamikoji Sanjo sagaru Wakatake-cho |
|---|---|---|
| ② | 東山区若竹町 | Higashiyama-ku Hanamikoji Sanjo sagaru Wakatake-cho |
| ③ | 東山区若竹町 | Higashiyama-ku Hanamikoji Sanjyo Wakatake-cho |
| ④ | 東山区若竹町 | Higashiyama-ku Hanamikoji Sanjo Wakatake-cho |
すぐに気がつくのは、「花見小路通三条下る」がなくてもローマ字表記に「Hanamikoji Sanj(y)o」が含まれている点です。実際に花見小路に面しているのは④だけなのに…… 他にも、ローマ字表記には「sagaru」があったりなかったり、一つだけ「Sanjyo」と y が挿入されていたりとバリエーションが見られます。
また、教業町の広報板のうち、町名表示板のあるのは③以外の3枚です。①と②はともに「東山区花見小路通三条下る教業町」ですね。④は町名表示部分が隠れてしまっているので、下から覗き込んでみると……
東山区花見小路三条教業町
Higashiyama-ku Hanamikoji Sanjo Kyogyo-cho
「通」も「下る」もなかったし、そもそも花見小路沿いじゃないですよね。
広報板だらけの町②:主税町
主税町は、千本丸太町の南東、二条城の北西に位置する町です。公称町名としては一体ですが、町域が広いためか、実際には北・中・南・東・巽・下主税町と無印の主税町の7つに分けられているようです。左の地図では、公称の町域を実線で囲み、通称の町を破線で区切りました(境界は防災まちづくりマップを参照。二条中学校の区域と、二条公園+旧京都放送会館の区域はいずれにも含まれていませんでした)。現地では、災害時町内集合場所の看板や消火器箱に通称町名を見ることができます。
北:—
中:中主税町
南:主税町
東:東主税町
巽:主税町(巽主税町)
下:—
主税町:主税町
町名表示のあるものをまとめると、次のようになります。
| 中主税町 | 上京区土屋町通丸太町下る中主税町 | Kamigyo-ku Tsuchiyamachimarutamachisagaru Nakasyuzei-cho. |
|---|---|---|
| 南主税町 | 上京区竹屋町通千本東入主税町 | Kamigyo-ku Takeyamachisenbonhigashiiru Syuzei-cho. |
| 東主税町 | 上京区智恵光院通丸太町下る東主税町 | Kamigyo-ku Chiekoin-dori Marutamachi sagaru Higashishuzei-cho |
| 巽主税町 | 上京区智恵光院通丸太町下る主税町(巽主税町) | Kamigyo-ku Chiekoindori Marutamachi Sagaru Shuzei-cho (Tatsumishzei-cho) |
| 主税町 | 上京区竹屋町通千本東入主税町 | Kamigyo-ku Takeyamachi-dori Senbon Shuzei-cho |
ローマ字表記についてはもう割愛してしまうことにします。すると、公称と通称が一致する主税町を除いて、町名表示は次の3種類に分けられます。
- 公称のみによるもの → 南
- 通称のみによるもの → 中、東
- 公称と通称を併記するもの → 巽
市の設備でありながら、公称を含まないものもあるんですね。また全体的な傾向として、千本通と丸太町通のいずれかを採用していることが指摘できるでしょう。例えば、中主税町は「土屋町通郁芳上る」、主税町は「竹屋町通浄福寺西入」としてもいい気がします。実際「郁芳通美福東入主税町」という表記が選挙ポスター掲示場の設置場所の告示に見られますね。さらに、見逃せないのは南主税町のものが「竹屋町通千本東入」と主税町の表示と同一になっている点です。南主税町自体は竹屋町通を南限としていますが、広報板の設置位置はその一本北、言うなれば「郁芳南通千本東入」です。竹屋町通沿いに設置されていたものがそのまま移設されてしまった、とかなんでしょうか。
通称だけを使う
東山区一橋西畑町
Higashiyama-ku Ichinohashi nishihata-cho
「一橋」を冠する公称町名は、一橋宮ノ内町と一橋野本町の2つしかありません。にもかかわらずこのような広報板が存在し、消火器にも西畑町の文字が見られました。となると、公称でない、すなわち通称の町名が採用されていると見るべきでしょう。古い資料を調べてみると、松井福󠄁次郎・河合喜重『一橋學區大觀』(日本今熊野新聞社󠄁、昭和7)という文献に次のような記述がありました。
公同組合では便宜本町六丁目、同七丁目、[…]、東林町東組、東林町西組、東林町南組、東林町北組、[…]、野本町、宮ノ內町、西畑町、[…]等に區分し、各町に組長、委員を置き業績をあげてゐる。
公同組合は、およそ現在の町内会に相当する組織だと考えて良さそうです。本町六丁目・七丁目のように町の区分と一致する場合もあれば、東林町東組・西組・南組・北組のように町をさらに細分する場合もあるみたいですね。西畑町は(少なくとも現在では)後者に当たるということでしょう。他の通称町名も、公同組合の枠組が現在まで続いているものということなんでしょうか?
広報板だらけの町③:本町十五丁目
五条通東詰から伏見へと延びる道として、本町通という通りがあります。伏見区内では直違橋通とも呼ばれ、その場合「本町通」という名称は東山区内の区間にのみ充てられることになります。この狭義の本町通の大きな特徴は、通り沿いの町が「本町一丁目」から「本町二十二丁目」として「丁目」によって区分されている点です。これら24の町(22でないのは、途中に「新五丁目」「新六丁目」が挟まるため)のうち、一つの意味で最も目を惹くのが本町十五丁目です。図に、各「丁目」の範囲を示しました(2020年国勢調査における小地域の境界データを利用)。濃い青で塗った部分が十五丁目ですが、ここだけがやけに大きく、街道沿いから外れたエリアも町域に含まれています。これは、明治2年に東福寺境内が本町十五丁目に編入されたためです。おそらくは、退耕庵と仁王門のあたりまでは境内であり、それより西側の十三・十四丁目程度のエリアのみが本来の本町十五丁目だったのだと思われます。仁王門が「元三聖󠄁寺の第一門なり」(京都坊目誌)と言い、本町十五丁目が旧称を「三聖寺前町」と言うのもそういうことでしょう。
この町内で見つかる広報板6枚をまとめたのがこの地図です。
東山区本町十五丁目東福寺北門前
Higashiyama-ku Honmachi Jugochome
本町十五丁目の街道沿いのエリアにある広報板はこの1枚だけです。町域が広いためか、町名表示に「東福寺北門前」という記述が加わっていますね。
と思えば、残りの5枚のうち北にある3枚は、単に「十五丁目」「15丁目」とのみ書いていました。
(仁王門北東)
(海蔵院門前)
(天得院北西)
一方、月輪南陵の近くにある2枚はそれぞれ異なることが書き加えられていました。
東山区本町15丁目778
Higashiyama-ku Honmachi Jugochome.
まさか地番を書いた広報板がまた見つかるとは思いませんでした。しかも、こちらは後から枝番まで書き加えられていて執念がすごいです。
東山区本町十五丁目月輪坦町
Higashiyama-ku Honmachi Jugochome
「月輪坦町」とはなんでしょう? 少なくとも公称町名ではないので、通称町名を調べる必要があります。通称町名が町内会の枠組に従っているのではないかという仮説に基づくと、この地域の町内会の情報が必要です。このための資料として、河合白戰編『町內會要覽 : 整備發足版』(山城每日新聞東山支社󠄁、昭和16)というものが見つかりました。この文献は、町内会連合会ごとに各町内会の正副会長を一覧しています。その中で、今熊野学区の連合会に属する町内会の一つとして「太閤坦町」を挙げており、これに当たるのではないかと思われます。
類例として、町域南部の消火器箱には「北正覚町」と書かれたものが数多くあります。こちらは町内図も見つかりました。この町も『町內會要覽』で調べてみると、月輪学区に「北正覺竹山莊」という町内会がありました。ところで、月輪学区は月輪小学校の学区な訳ですが、この学校は古くは一橋第二小学校という名前でした。そこで『一橋學區大觀』を見てみると、「竹山莊」という名の付く公同組合としては「東福󠄁寺竹山莊」が設置されており、少し名称が食い違います。公同組合が町内会に組み替えられる*際に名称が変更され、その後どこかの段階で「竹山莊」が落ちたということでしょうか。
* 「從來の組織である公同組合、衛生組合、防護組、體育振興會等を、とりあへず一つのものとして[…]この町內會制度を設置しようとするのであります」(『町內會要覽』p.89)
そこで、NDLデジタルコレクションで確認できる紳士録・年鑑に掲載されている住所の表記を、初出の出版年とともにまとめてみました。戦後に「東福寺」がなくなり「北正覚」が加わっています。「竹山荘」が確認できたのは昭和39年が最後でした。
| 昭和4 | 東福󠄁寺南門竹山莊內 | 日本紳士録(交詢社) |
|---|---|---|
| 昭和15 | 東福󠄁寺南門南入竹山莊 | 日本紳士録(交詢社) |
| 本町十五町目東福󠄁寺竹山莊 | ||
| 昭和27 | 本町十五丁目比正覺竹山莊 | 全日本紳士録(人事興信所) |
| 昭和34 | 本町十五丁目北正覚町 | 全日本紳士録(人事興信所) |
| 昭和39 | 本町十五丁目北正覚竹山荘 | 東京紳士録(東京探偵社) |
| 昭和43 | 本町15丁目北正覚町 | 京都年鑑(夕刊京都新聞社) |